アダム・スミスと渋沢栄一の夕食を作ったのは誰でしょうね。

最近、勉強家の女友だちが『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』という本を読んでいる、とインスタに紹介していた。なんて面白いタイトルだろう、と興味をそそられ、わたしも図書館で予約して手に取ってみた。

人々が生産もしていないのにステーキが食べれたのは肉屋の善意ではなく、お店が利益を追求した結果だ、スミスが打ち出した「神の見えざる手」という有名な思想。後に”経済学の父”と評されたアダム・スミス。だけどさ、あんたの場合は生涯独身で学問に没頭しながら社会的評価を受けれたのは、お母さんがご飯作ってくれてたからだよ、そこを無視するのはどうでしょうね、という皮肉をタイトルにしている。

書いたのはスウェーデン人の女性ジャーナリスト、カトリーン・マルサル氏。現地で出版されたのは2012年。そして、日本で翻訳本が出版されたのは、昨年。

うーむ、この時差はなんでしょうね。しかも、この本を読み終えてなんだったんだろう、腑に落ちないモヤモヤは??と自分の頭の中で整理していてその結論がでたタイミングの昨日12月2日、朝日新聞の天声人語で紹介されていた!なんとタイムリー。

(天声人語)アダム・スミスと家事:朝日新聞デジタル

天声人語では、この本に書いてあることは、

経済学は、家事や育児を軽視してきたのではないか、という問いだ”

と。

この本を読んでモヤモヤしたのは、そういう家事や育児を担ってきたのは圧倒的に”女性”でそんな女性たちが妥当に評価される社会にするにはどうしたら良いか、という解決策は書かれていないから。それはそうだ、著者は学者ではなく、ジャーナリストだから。

そして、男女平等だと思われている北欧スウェーデン出身の彼女がこの本を書いたというのは、わたしにとっては、よくぞ日本にも知らしめてくれたとも思った。日本人たちは、スウェーデンとか北欧は、男性も女性も平等に家事育児を協力し合っていて幸福度が高い、って思っているけど、そうじゃなかったのよね!って。

わたしも大学時代にスウェーデンに留学したことがあったが、帰国してから卒業論文のために読んでいたスウェーデンの社会学の本(日本語訳あり)にも「スウェーデンですら、男がほんと家事・育児を進んでやらなくて、女たちはイラついている」というアンケート調査が出ていた。やっぱりそうだったか、日本もスウェーデンも変わらないじゃんってその時思ったことを今でも覚えている。

この本が天声人語で2024年の12月に取り上げられたということは、どうやら”いま”日本で話題になっているみたい。おやまぁ、だいぶ遅いわ・・・

そんなわたしの感想をぴったし代弁してくれている口コミレビューがあったので、ここに紹介させていただきたい。

この本の発行から10年経ったが、今の日本はこの本の議論にやっと追いついたかもしくはそれ以下の議論にとどまっている。この本でさえ議論したからと言ってじゃあだから女性はどうすればいいのなんて書いてはいないわけで。女性がいかに経済理論から取りこぼされ性的役割分業の檻に閉じ込められているかという、なんと言うか言葉を尽くした愚痴に終始していた。2012年だったら新しい考えだったかもしれないが2020年代ではさすがにもう一歩進んだ議論が欲しいところ。2012年の本を2022年に発行している日本では結論にはまだあと数10年必要そうだと思って暗い気持ちになりました。

アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? ; これからの経済と女性の話 | カトリーン・キラス゠マルサル, 高橋璃子 |本 | 通販 | Amazonより、コメント by 2024年2月22日とうこさん)

 

アダム・スミスは「見えざる手」と説いて経済学の父。

そう聞いたら、日本で言えば渋沢栄一か、おんなじようにわたしがアンタ呼ばわりしたくなるオトコは。

今年2024年の春、日本では新紙幣誕生、そう、一万円札は「日本経済の礎を築いた大いなる父」と崇められている渋沢栄一の肖像が使われている。

わたしは、その顔を見るたびに「この××爺」と心の中で思っている。福沢諭吉のお札のほうが好きだったな、それか、なんなら、新紙幣は天皇陛下とかパンダとかにしてほしかったよ。

そう思ったきっかけは、2021年。当時、雇われの仕事を辞め、ビジネスの基礎を勉強したかったわたしは、大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢栄一が題材になり、ベストセラーになっていた渋沢栄一の本の現代語訳新書『論語と算盤』を読んでいた。

 経済を推進するための姿勢たるもの、外国と日本の経済をどうとらえるか、そして渋沢栄一が論語のどの部分を大事にしたかというところは蛍光ペン引きまくりとても勉強になったのだが・・・

あとがきを読み進めていたら、渋沢栄一は財力があった分、女性関係もたくさんあったと書いてある。

”数多くのお妾さんがいて、その子供は30人以上はいたらしい。”

って!!最後の子供は、80歳を超えてできたというのだから、一気に幻滅してしまった。

当時の通例では、渋沢氏ほどの人物であれば、そういう関係も不貞にはならずオッケー!って。ほんといつの時代も、男は性欲はどうしようもないってことなんだけど、そう思うと渋沢栄一を今の時代に新紙幣に決めた人たちって誰なのかしら?お顔見てみたいわ。周囲にいた女たちは渋沢栄一にとって、どういう存在だったのだろうか、どう扱われていたのだろう。わたしなら、そこまで想像を巡らせて本当に新紙幣に選ばれるべき人物なのか検討材料にする。

アダム・スミスや渋沢栄一が偉くて、その彼たちのケアをしてきた女性たちは、”女性たち”あるいは”母親”という名称で片付けられているようにも思えて、そういうのって何だろう。女のわたしはやっぱりモヤモヤする。

かといって、じゃ男どもと同じ土俵でこれからも女性が活躍したいならやってみろよ、っていう風潮も乱暴だし、だから、こういう本を読んでも、なんの慰めにも励ましにもならない。

社会はちょっとずつ前進しているかのようで、その進み方は合っているのか合っていないのかわからないし、とても遅い。

わたしが腑に落ちる社会生活を社会全体に求めるのはもうあきらめたほうが良いのかもな。

せめて、できることはわたしの身近にいる夫や息子や、関わっている人たちのあいだでは、男の方が活躍出来て偉いとかそういうのはおかしいよね、気持ちの良い関係、認め合いの精神を互いに築き合おうと思う。