スマホを持たないで暮らしていけている人と最近会う機会があり、そのことが頭から離れない。彼女は高校生のお子さんがいらっしゃるパート勤務の40代後半くらいの女性。
1年ぶりにお会いしたので、「久しぶりに会ったばかりで質問攻めにして申し訳ないんだけど、本当に今でもスマホというかケイタイ自体持っていないんですか?あっ、ほんとは持っているけれど、職場の人には面倒だから持っていないってことにしているなら、だれにも言わないんで・・・」と前のめりで聞くと、さらっと「本当に、スマホはもちろん、ガラケーすら持っていないですよ」と言う。
今の時代に、70代のうちの父ですら、ケイタイを持つのがいやだいやだと言いながらも、なんだかんだアイフォンを所有し、肝心な時に電源を切っていたり持たないで出かけたりと、使いこなせていないものの、たまにLINEを見て返事をくれたりしているのに、こともあろうに、現役世代の女性が持たずして、困ったりしていないのだろうか???
「学校からの連絡は?」
「夫のほうに行くようにしているんです」
「何か申込とか調べ事とかは?」
「家のパソコンでメールは見ています」
今まで一度もケイタイを持たないできたようで、そして、彼女はさらに驚くことを言った。
「実は昔、ケイタイショップの販売員のパートをしていたことがあるんです。その時も、持っていなくて、店長に”買え、買え”って言われたけれどそれでも持たなかったんですよね~。ケイタイ持っていないのになぜかケイタイショップの販売員をやっていたんですよ、わたし」と笑う。
面白すぎる・・・なんて潔すぎる個性的な方なんだ!?と驚いてしまった。
「やっぱり、スマホとかって、持っちゃうとね、縛られたりするし、疲れることもありますからね、縛られるのがイヤっていう気持ちからですか?」
と聞くと、
「そうなんです、わたし何かに縛られてるように暮らすのが本当にいやなので、貫いているというかんじですね~」
と言うが・・・私の場合、出かけたときに電車の乗り換えや、到着時間などを路線を調べるという使い道はスマホを理由の大きなひとつ。
「出かけるときに、乗り換えとか調べたりしないんですか?困らないですか?」
すると、「別に、特に調べて出かけたいとか思わないですね」
と言う。どういうお出かけの仕方をしているのだろうか???
きっと、自分の時間というのを大切にしているのだろう、縛られず、急がず、前もって余裕を持って日々を過ごしている、誰かとすぐに連絡をとりあって繋がっていなくても、不便でも寂しくもなく。消費欲求を煽られるような情報も入れず、穏やかに暮らしているとでもいうか・・・
なんだか羨ましい気もするな・・・貫けているというその精神の強さも?
そんなことを思っていたとき、テレビを観ていたらあの大俳優の柴田恭兵もスマホというかケイタイを一切持っていない、という。トーク番組でその話をしていて、案の定、司会者含む芸人たちが、驚きの顔。
「どうやって連絡とかもらうんですか??」
「まぁ、僕の場合は、うちにファックスとか電話してもらう感じで、不便だと思ったことはないですよ」
そっかそっか・・・
そういう方たちもいるのね。
スマホを持っていなかった時代に戻ったら、わたしはどんな時間を日々過ごしているだろう。きっと今より、心に余白という名の余裕もあったり、シンプルに暮らせているのかもしれない。
それは、逆に言えば、きっと情報から物欲やらたくさんのものに囲まれ、豊かを謳歌してきたからこそ、そういう「もうシンプルに生きたいよ」という境地に憧れを抱いているのかもしれない。
スマホを手放す、というのは今のわたしには考えられないけれど、せめて、アンデシュ・ハンセンの『スマホ脳』の書いているとおり、スマホを使う時間を自分で制限してすっきり生きる努力は続けたい。
持たなければ、新たな境地にたどりつけそうな気はするが、その勇気はわたしには今のところないから・・・(笑)