朝日新聞を購読している。以前は朝刊だけにしていたけれど、夕刊とセットでもあまり月々の購読料が変わらないということで、数年前からは夕刊とセット。読んでみると、夕刊の方が面白かったりもするので、夕刊は外せない。
ということで、新聞は読むとそれなりに自分の糧になるような気もするが、我が家ではちゃんと読むのが私ひとりくらいで夫はたまにしか読んでいない。(たぶん、デジタルでなにかビジネス新聞のようなものを購読しているらしいが)
わたしも、暇なときはいいのだけど、何かとばたばた忙しいとすぐに数日分の新聞がたまってしまって読まなきゃ・・・という”宿題”が積み上げられているように見えるのがストレスにもなる。

そして、朝日新聞自身も以前「新聞を読まない人が増えていて、ネガティブ情報からあえて避ける傾向があるひとも」という記事もあったように、昨今、将来への不安になるような時事ばかりで、政治、災害、国際情勢、貧困問題、介護の問題、温暖化などによる環境汚染などなど・・・読んだ後に、暗い気分になり後味が悪くなることもけっこうあるわけで。
そんなわけで、わたしは溜まる新聞を見ると、これを読むのにけっこうな時間を要するというストレス、読んでも自分じゃどうしようもないような不幸な社会問題を知ることになる、読まないと購読料がもったいない、三重苦に陥って、嫌になって、いったん9月、10月と二か月新聞の購読を止めてみた。
一切、新聞の紙資源という物質的にモノが増えることからも解放され、あ~、溜まってる、読まなきゃ、というストレスからも逃れ、読まない代わりにご飯を食べながらテレビをつけてニュースを見たりすれば、大まか今、世間がどうなっているかのさわりは知れた。そして、情報があまり入ってこないとしても、さほど正直なところ自分の日常生活には何の問題もなかったのだ。
あ~、これだから、現役世代の新聞離れがとまらないのだろうね。もうただでさえデジタル社会でスマホを開けば情報過多。もう脳みそパンパンなところに、真面目に新聞の紙面をじっくり読むなんぞ、コスパもタイパも悪い、と見なされるわけだわ。
正直なところ、新聞を止めていた2ヶ月は楽だった。ずっとこのまま辞めてもよかったのだけど、11月に入る前日10月31日から、きっちりと新聞屋さんはサービスで新聞を届けてくれた。
そんなわけで、言わずとも3か月経ったころにちゃんと覚えていて、届けてくれるのだから11月から、また新聞に追われる日々は始まった。
でもね・・・読んでみると、私なんぞテレビもリアルタイムではなくてNHKプラスで、朝ドラの「ばけばけ」を好きな時に好きなだけ見たり、気が向けばニュースやワイドショーを眺めるくらいで、テレビから積極的に情報を得ているわけでもないから、知っておいてよかったわ、という記事に出くわす。
最近だと、自動車税の環境性能税を廃止する方向で政府が調整している、というニュースや阿部元首相銃撃事件の山上被告の裁判の詳細、26年前の名古屋の主婦殺害事件で犯人が見つかったというあのニュースには衝撃を受けた。新聞だと、とても深く掘り下げて大事な部分も取材されているので、有難いと正直思うし、さらには投稿欄、社説、オピニオン面だとわたしの知的好奇心をくすぐる記事に出逢えたり、なんなら1面から3面の書籍広告、26,27面当たりのクラシックコンサート情報なんかもけっこう目を引くので、脳が活性化されていることは間違いない。
ところで、溜まるならデジタル購読すればよいではないか、と思うかもしれないが、広告が色々出てきて、とても邪魔でそれの方がストレスになり、最近とくに朝日新聞のような有料サイトでも、記事を読んでいると製薬会社の露骨な動くバナー広告が非常に不愉快なほどに目につく。完全に集中力を阻害されるので、すぐに購読を辞めた。
あの手この手で、メディアはひとを翻弄しようとしている、とも見えるし、かと言って、かと言って、自ら情報遮断するのはリスクもあり。
そんなわけで”教養を深めたい”という一心でわたしは、ほどよく紙媒体の新聞と仲良く付き合っていくつもりだ。