昨日は8月15日(これを書いていたのは16日)。終戦記念日。40代のわたしにとって、第一次、第二次世界大戦は教科書やメディアで学んだ過去の最も繰り返してはいけない歴史、という認識だったのだけど、昨日の日経新聞を読んでいたら、戦場から帰還した人の「戦争トラウマ」が、子や孫にも影響を与えていて、負の連鎖が虐待や暴力という形で表れ、今も被害に苦しんでいる方が少なくない数いらっしゃるということにショックを受けた。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD229C30S6A720C2000000
そして、また今年に入り、わたしは仕事で90代の高齢者の方たちと接する機会ができて、なんとなくお話していると、出だしが”戦争の頃はね、”とか”終戦の時16歳だったから”から始まることが時折あるので、あ、やっぱりあの頃の記憶は鮮明なのだろうな、と実感するのだ。20代の頃に祖父母を亡くしている私にとって、40代の今、こうやって戦争を経験した高齢者の方から直接話を聞かせていただけるのは、とても貴重なことだ。
93歳のマダムは、私が週1回お手伝いしている日課の足浴をしながら、”なにせ、戦争のころはね”からふと、話を始まり”疎開先で、食べるものがなかった時代だからね、おさつを作ることになってね、”と言った。その「おさつ」の発音が最初、お金のお札に聞こえたので、あれ、あの時代は偽札でも製造してたのかしら・・・と想像してしまった。その後続けて「それがね、沖縄のね、おさつがおいしくてねぇ」というから、あ、”さつまいも”のことか!とその時気づき、「おさつって、さつまいものことですね」と聞くと「あの時食べた、そのおさつは美味しかったの。そういうのでお腹いっぱいになったのね」とどこか遠い目をしながら話してくれた。
なるほどねぇ、子どもでも畑でさつまいもをせっせと栽培していたのか、そういう時代だったのか、ふとした会話のはじまりが、「戦争のころはね」という半世紀以上前の話にさかのぼるのを目の当たりにすると、なんとも言えない気持ちになる。
また、あるときは、96歳の男性の方の担当をしていて、その方に、あいさつ代わりに会話の手始めに「うちの夫が、今朝から鹿児島に出張に出かけたんです」と話題を振った。あまり自分からはしゃべらない静かな方なのだが、まったく会話せずに1時間一緒に過ごすのもあれかな、とわたしから少し話題を出すのだが、それに対してちゃんと適格に返答してくれるので、こんな高齢でも認知症もまったくなくスゴイなぁと感心するばかり。「へぇ、鹿児島に出張?」「そうなんです、お土産なに買って来てくれるかな~前回は、知覧茶だったんです」と言うと、はたと考えてから「知覧?」という。「はい、鹿児島の緑茶は知覧茶が有名ですから」と言うと、
「知覧って言ったら、特攻隊の基地があったところだ」と目力を込めて発した。
わたしは、そんな風に返答されたのは初めてだったので、少し驚いた。
「知覧には昔、特攻隊の基地があったんですね・・・」と言うと「そうだよ、知覧には特攻隊の部隊があったんだ」とこれまた遠いまなざしで言う。
それを聞いて、わたしはそうか、戦争を経験された高齢の方は、90を超えても日本の地名を聞くと、戦争の頃の状況が記憶にしっかり残っているのか、とはっとさせられたものだ。
この話を、中高で社会科を教えている教員の友だちにしたら、「知覧ってそうだよね、特攻隊の基地があったところだね、やっぱり時間軸の基準は1945年頃なんだろうね。わたし達の場合だと、将来、東日本大震災の時はこうだった、とか、コロナウイルスの2020年はどんなだった、とかそういう感じになるんだろうね」
と言った。
自分が生きている時代に起きる大きな衝撃的な出来事は、そうやって時間軸のなかでくっきりと記憶に刻まれる。戦争の場合は人為的に起きる最悪の行為だ。世界中で起きている戦争、本当になくならないのが、悲しくてしょうがない。戦争の記憶なんて、本当はみんなほしくないんだから。