小学生の頃NHKで放送していた「大草原の小さな家」シリーズが好きで、ローラがちょうど自分と同じくらいの歳だったから、日本中の女の子やお母さんたち同様にあのシリーズのファンだったわたし。高学年の頃はローラ・インガルス・ワイルダーの書いた本も全部揃えて夢中で読みふけっていたものだった。イナゴの大群がきて、育てていた作物が全部だめになってしまったときのショックも覚えているし、木の器で牛乳を飲むシーンも好きで、またしては牛乳にポップコーンを浸して食べる、なんてことも真似したこともあったっけ。食事中は歌を歌ってはいけません、ってお母さんに注意されていたことも、今でも覚えているし。
そんな大草原の小さな家ファンのわたしは、10年ほど前に趣味で文学研究をしていて、あるとき図書館でなんとなく手に取った児童文学評論の本があった。その中で、日本人の女性著者が、大草原の小さな家について”あの物語には不快感を覚える。ローラのお母さんの描かれ方は女性は家族のために尽くすもの、夫に従順についていくものだ、という押しつけの価値観が詰まっている” というようなことを書いていて衝撃を受けたのだった。
先日のある日のこと、自転車がパンクして、修理に出すことになり、その空き時間に手持無沙汰になり、図書館にふらっと入って本棚を眺めていたら、ふとその10年前のことが思い出されたのだ。
あの本、もう一回内容を確認したい、とおぼろげな記憶をたどりながら、本棚の前をうろうろ歩き、探しているとそれっぽいタイトルの本を見つけた。
その名も『かんこのミニミニ世界児童文学史』著:赤木かん子

目次を見ると13章目に”大草原への大きな旅”ってある!もしかして、これじゃないかな!
しかし、読んでみると・・・どうも、ちょっと違う。けれど、この本の紹介は深い!定番からマニアックな作品まで掘り下げまくっている。「大草原の小さな家」シリーズについても、赤木かん子さんはかん子さんで、これまた痛烈にはっとするような読み方をされていて、目が覚める思いがした。
児童文学評論家の赤木かん子さんのことは、存じ上げていなかったのだが、どうもスゴイ方。
彼女はまず、大草原の小さな家シリーズを読んだのがけっこう大きくなってからだったのもあり、ローラの家族に憧れを抱けなかったのだそう。
そして次がびっくりよ。
”もうひとつ気に入らなかったのは、あの物語がもつ単純さ、というかよくいえばおおらかさ、なんでしょうが、他人の土地を侵略しているにもかかわらず、そういう意識がまるっきりない恐さです。”
ネイティブアメリカン、つまり先住民であるインディアンの土地を侵略しているのに彼らのほうを獰猛な危険な生き物扱いしていたよね、あの頃ヨーロッパから渡ってきた白人たちって・・・そんなこと、わたしは当然ながら無知な子どもだったから、ローラの物語のなかにこんな本当の歴史的背景があるなんて知らなかったけれど、大人になってから色んな本を読んでいくと、こういう西洋人の侵略の歴史が嫌というほど世界中の社会と文化に繋がっていることを知ることになってきた。しかしながら、かん子さんの言うように、当の西洋人の彼らはそういう自覚があまりないようなのだ・・・
そしてさらに、かん子さんの本音炸裂な書評はいかのように続く。
”なんていうか、私からすると、漠然と感じてたことがいくつかあって、このお母さんってローラのことあまり好きじゃないんじゃないかなって…ローラのほうもお母さんをあまり好きじゃない。なんでローラのこと嫌いなんだろうな~って考えてたんだけど、私、このお母さんはローラよりもなによりも西部が嫌いだったんだろうなって思いついたんだ。でも父さんは根っからの西部好きで行きたがる”
母親が主人公である娘のことが嫌い??そういう風に読めちゃうんだ…これはきっと、ちょっと大きくなったり大人になってから読むと見えてくる部分なのかもしれない。
実際のところ、日本中で愛されてきた英米の児童文学って赤毛のアンにしてもそうだし、ローラ・インガルス・ワイルダーにしてもそうだし、実は、物語の牧歌的な雰囲気とは裏腹に、執筆の裏事情はとても大人な問題があったりするのよね、知らないととってもおおらかなものなんだけど・・・
いやはや、これは驚いたわ。
かん子さんの文体と言うか語り口はとっても個性的。こんな面白い書評は初めて読んだわ‥‥新聞の書評でお目にかかったことがないのが不思議なくらい。
実は数年前にも、『ゼロ・ウェイスト・ホーム』というアメリカのカリスマ的環境活動家ベア・ジョンソンという女性がいるんだけど、その方のこの本を読んだときに、彼女が『大草原の小さな家』を見てインスピレーションを掻き立てるのが好き、みたいなことを書いていて、影響をうけて、アマプラで配信していたので、子ども達と一緒に観て「懐かしい~」とか「なんかいいよね~こういう時代って」とか言っていたのよね・・・・
もう一回、観てみたら、違った見方ができるかもしれない。わたしも鈍感さから抜け出して、かん子さんの言うような”恐さ”を感じるのかもしれない。
大草原の小さな家・・・憧れだったから、その憧れを壊したくない気もするけれど・・・恐いもの見たさもある・・・