老害の人かぁ・・・

老害の人。故内館牧子さんが書かれた小説のタイトルだ。

とても痛快でひりひりとした切実感すら感じられる傑作小説だった。今、老害の人と聞くと、何を思い浮かべる?わたしは、アメリカのトランプ大統領だな。

最近は特にひどい。

テレビをつけたら、ワールドカップのFIFA会長に「うちの国のあのエースに出されたレッドカードおかしくないか?」と言って仲が良いからか知らないけど電話をかけてなにやら、忖度させたらしい?その選手のレッドカードは一年間猶予となり、翌日のベルギー戦に出場できていて「あれはファールじゃないと思ったから、会長に言ったまでだ。介入はしていない。でも、まぁFIFAの判断が正しいよ」としらばっくれる。イランについてもニュースキャスターが、ニュースを読み上げた際の言葉は「アメリカのトランプ大統領は、イランについて”もう彼らとは関わりたくない”と言っています」って、なんなの、その陳腐な発言は・・・気が滅入るし、テレビに映し出される、トランプが老害発言をしている裸の王様状態の後ろに立ってニコニコ媚びをへつらうような笑顔で立っているアメリカ人のお金持ちたち・・・大人というのはせこいものだ。情けない・・・子ども達にこんな大人の姿を見せることになるなんて、あたしゃ申し訳ないよ。

って、そんなことをわたしが言うこの発言なんて、小さなありんこがささやいているようなもの。自分のちっぽけさを思い知らされるだけだ。

愚痴をこぼしてもしょうがないので・・・この内館牧子さんの『老害の人』という小説を読んだ一年前のことを振り返ってみる。

昨年の6月某日、東京郊外のホールで、大手新聞社の主席論説委員による人気のコラムを書くことについての講演会があった。370人ほど収容できるホールは満席御礼。わたしも、文章を書くコツなんか聞けたら面白そうだと講演会に出かけた。平日の昼下がり、新聞購読者限定無料講演とあって、来場者はほぼシニアだらけ。コラムニストの講演が終わると、司会の方が質疑応答など次の進行をすることになっていたが、間髪入れず、その満員のホールでいきなり大声で「ちょっと良いですか!」と声を上げた男性の声。「皆で、会話のキャッチボールをしようではないですか!」と最初は、会場を良いノリに包み込んだかと思ったが、司会の女性社員が「ありがとうございます、ちょうど質疑応答のコーナーをご用意していました」と笑顔で応えるやいなや、その男性の声の先を見ると、自転車で来たのであろう、ヘルメットをかぶった白髪の元気いっぱいなご老人男性が座席から立ち上がり、壇上に立っているコラムニストに向かって「この新聞社が当時”この町の近くにも支局があってね、その時から・・・」と肉声で大きな声でなにやら主張し始めた。私を含めた会場の人々は”このおじいさんは何を言っているのだろうか”と思ったが、さらに老人は「若者の読書離れが進んでいる、これは大きな問題だと思う!もっともですね、新聞社はねぇ、どうのこうの、この町はもっと教養にあふれた人たちがいたはずなのに・・・これは由々しき問題だ!30年前の・・・・」

もはや何を言っているかはわからないが、大ホールに響き渡る大きな声でわぁわぁと話は止まらない。そのうち、イラついた会場にいる若めのシニアの男性や女性が「独擅場じゃないぞ!やめさせてください!」とか「ちょっと良いですか。話したい事があるなら、手を挙げて、司会の人に指名されてからにしてください」「迷惑だ!」などと不満爆発・・・怒りを買っていることすら、ヘルメットおじいさんは、気づかない・・・ますます、強情になり自己主張を何やら言っているので、壇上におられたその新聞社の主席論説委員も司会の女性も茫然と立ち尽くしている・・・論説委員の方が「すみません、あなたの質問は何でしょうか」と優しく問いかけ、「若者の活字離れについては私も危惧しています」と共感してあげて・・・司会者が「時間の都合がありますので、後ほどお話は個別にしていただき、質疑応答に入らせていただきます」と何とか場を収めた。

わたしは、あ、これが世間で聞く”老害”というものか、と衝撃を受けた。隣に座っていた、70代と思われる若めのシニア女性が、わたしに目配せして「こういうの多いのよ、公民館の講座なんか言ったら、もう話が噛み合わない年老いた男性同士で、口論になって殴りあいとかもあるくらいよ」なんて苦笑いして教えてくれた。

この鮮烈なまでの衝撃的な老害沙汰の講演会の数日後、たまたまブックオフにふらっと立ち寄ったら、黄色い表紙の『老害の人』内館牧子、の小説を見つけた。ぱらぱらっと、開いて読んでみると

常識人は言えないことを平気で言う。

さらに

老害とされる人は、口数が多い。後先を考えず、言いたいことを言う。そんな自分に酔い、際限なくいくらでも言う。

と書いてある。わぁ!これ、数日前の講演会のヘルメットおじいさん、そのまんまじゃん!内館さんってぴたっと言い表してて凄すぎる・・・・と感動すらし、その本を買って家に持って帰って夢中で読んだ。面白すぎたわ・・・心底イライラしながら、そして苦笑しながら、疑似体験を存分にできたし、しかしながら、これは自分も気を付けないといけないねと、ヒヤッとすらして・・・面白くも恐ろしくもある小説だった。

この本のおかげで、心の準備というのができたが、ほんとに”老害”になっちゃう人って多い。相対的に高齢者が多いのだからそうなるのもあるが。ただ、彼らも好きで老害な人間になりたいわけではない。自覚すらできないのだ。だから、社会平和のためにも、若い人たちでどうにか回避してあげるなり、辞めさせてあげるなりしないといけないと思う。特に、トランプ大統領なんて、世界中で醜態をさらし迷惑かけまくってしまっているんだから、だれか止めてあげて・・・切に!

老害、と言う言葉はよくできたものだな、と思う。

老害対策、というのも今後、大人の大事な仕事になると思うのだ。本人にとっても、尊厳を保つためにも醜態をさらし、周りの人を不快にさせるのは不幸だ。その不幸を回避してあげるには他者の介入が必要なのかも。

実は、こうやって書きながら、わたしは自分自身の変化に驚いているところもある。

昨秋に、ひょんなことから介護の資格をとり、今は高齢者介護の仕事も始めて半年が過ぎた頃。そのことで、ご老人たちの性質を知識としても勉強してあるし、実際に介護現場で関わることで身近に感じられるようになったので価値観というか受け止め方も180度くらい変わってきたが、一年前は老人が苦手だった。

今は、老害を含め、ご老人たちは彼らが抱える体の老化によるストレスや思い通りにならないもどかしさもあって、心と体のバランスがとれなくて周囲を気遣うことも社会のなかにいる自分を客観視することもできないんだな、というのが理解できるようになった。彼らは与えられた生活空間により、行動範囲も狭まりだんだん視界が狭くなる感じ、なのだと思う。なんなら、好きで長生きしているわけじゃない、という人も実は多いように感じるが、皆、そうとは言っても、毎日懸命に生きているのだ。

様々な社会の進歩により人はなかなか死ねなくなり、超高齢社会はどんどん進むし、昨今のデジタル社会、核家族化、なんやらかんやらで人とのコミュニケーションもなかなか難しい時代。老害ももっと増えるだろうなと思うので、うまいことやっていくには、どうしたら良いのか・・・

これは、嫌とか言ってられず、老人もそうでない人も、人と関わるしかないのだ。人と関わることで老害というものも含め、自分じゃない人も生きているからみんなが上手くやるにはどうしたらいいのか、と知恵を絞るようになる。

人と関わることが好き、という人いますよね。そういう人にとっては人と関わることが好きなんだから、なんの障壁もないけど・・・わたしはどうなのか・・・人と関わることって疲れることもあるから好きじゃないけどな、と思う自分もいるけど・・・人と関わることでしか成長できないな、と実際に気づいたこともあるから、わたしは好きか嫌いかはもう考えない。

トランプのような人の場合は、人と関わる、というよりはお金を介して関わる、というひとつ邪魔なものがあるから、うまくいかないのだと思う。一番の老害は、世界で戦争をリードしているおじさんおじいさん達。彼らの老害を止められるのは・・・なんだろう??スケールが大きい話になりそうなのでこの辺で。