もがきながら、私小説を書いていている。でもねぇ、本当に自分が向き合いたかった宗教をテーマに書こうと決めて、構想から数えると2年くらい経ちそうな気配。やはり難しいのよ。親しい人に「わたし宗教をテーマに小説書いてるの」なんて有言実行するべく言ってしまったけどまだ完成には程遠いので、そろそろおおかみ少年ならぬ、”口だけのオンナのほら吹き”呼ばわりされても文句も言えないわ…
本気で、そして満足いく作品を書きあげたいという想いから悩んでいたもんだから、本当は絶対に頼りたくないchatGPTに、冒頭を少しだけ読んでもらってアドバイスを乞うてしまった。「あなたは大手出版社の権限のある一流編集者の立場からアドバイスください」ってインプットして。
そしたら、なかなか鋭いこと言ってきたわ。
編集者の感覚で言うと、
→「この人、自分をよく見せようとしているな」と感じるラインに入っています。あなたの本音はもっとえぐいはずです。”とか。”自分語りの痛さを回避するために三人称に逃げたように読める。”
本当に満足いく作品にしたいのなら”一人称で書き直すべき”。
自分をよく見せないこと。あなたの原稿は今、
少しだけ「正しい側に立っている」感じがあります。
冒頭の2ページほどの内容なのに、自分が気にしていたところをまさに当ててきたので、ある意味困惑した。
たしかに、このchatGPTだけでなく、”正しさ”がわたしには常に付きまとっていて、正しいことを主張しようとして、わたしは良い人ですっていうのを見せたがる、つまらない人間(正論を言って他人を傷つけるとか、逆に場をしらけさせるとか)になっているのは自分の短所だという自覚あり。
そんなわけで、そろそろ原稿用紙100枚に届くところなのだけど、そこまで書きあげたら、一人称に書き直すという、またさらに気が遠くなりそうな展開になった。AIに指摘されたことを素直に聞き入れる人間のわたし。でも、うのみにしたり頼ったりして作品全部の手直しなんかをお願いしちゃったら、それはわたしの作品ではなくなるからそれは絶対にしない。それやっちゃったら後には戻れないよ、そんなことしたら自分がダメになる。
そもそもこの小説を書こうと思ったのは、自分のなかでしこりになっていた過去の記憶と宗教とのかかわりについて治癒を見出したいから。
正しいことを書き、全部説明したがること・・・そう思うと、わたしの文章っていつもそうかも。良く見せたいってどこかにあるのね。chatGPTに指摘されたことをいつまでもねちねちと引きずっているこの自分って、情けないわ。でも、正直聞いたことで的確なアドバイスをもらえたから、前進できているのよね。ちょっと歩きべき道に光が見えたような安心感も感じる。
そして何やら運命的なことを感じる瞬間もこの小説を書いていて起きている。この小説に欠かせない友人に立て続けに再会する機会があって、再会をきっかけに昔の日記帳を引っ張り出して開いてみたら、二十歳のわたしが綴っていたことがこの小説の答えになっていた!この瞬間、心震えたわ。
その感情を小説にしたい。
あなたの本音はもっとえぐいはずです。
なんか、正しさが邪魔していることを破らせるためにGPTは、こうやって私を煽ってくれる。いやはやまったく。すごいわね。